神よ仏よ――信仰厚き北陸路を行く

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富山新聞 平成9年10月28日号 掲載記事
  「神よ仏よ」 信仰厚き北陸路を行く

富山県小杉町に本部を置く浄土真宗親鸞会は、アニメビデオによる布教戦略など独自の活動を展開する。とりわけ、東西本願寺が呼びかけても振り向かない若者たちを引きつける点で、真宗王国北陸で異彩を放つ。

蓮如の教え学ぶ

この教団が若い世代から支持される理由は何なのか。十月十九日の日曜日、金沢市の石川県産業展示館で開催された親鸞会主催の「親鸞聖人講演会」に訪れた。

この日の講師は親鸞会生みの親、高森顕徹会長(68)とあって、会場前の駐車場には全国各地から大型バスやマイカーが続々と乗り入れた。広い館内は学生など青年層を中心に埋め尽くされ、その数は約四千人に上った。

午前九時半、勤行が始まった。正座した会員が親鸞の「正信偈」を唱え、蓮如の御文章〈御文〉の拝読へと続く。お勤めの形式は本願寺教団と変わらないが、寺院本堂ではなく、コンクリートと鉄骨むき出しの会場に念仏の声が響き渡るのは、北陸ではなじみの薄い光景だった。

仏壇の両側には、親鸞と蓮如の絵像、高森会長は仏壇に合掌した後、聴衆に向き直って法話を始めた。

高森会長は氷見市の浄土真宗本願寺は(西本願寺)の寺に生まれた。龍谷大卒業後、西本願寺に反旗を翻し、昭和二十七年に「徹信会」を結成。三十三年に浄土真宗親鸞会と改称する。

その教えは、法話に凝縮されていた。

高森会長は蓮如の御文章に出てくる「人間の浮生なる姿」を海にたとえてこう説明した。

「泳いで苦しくなると、波間の丸太や板きれにすがって、やれやれと一安心するが、これらはまた引っくり返る当てにならない存在だ。それが健康や財産のことです。泳ぎ方ばかりを問題にし、なぜ泳ぐかを忘れている。そこに全人類の悲劇がある」

そして人生の目的は「後生の一大事」の解決しかないと言い切る。「後生の一大事」とは、親鸞会によると「一切の人は死んだら必ず無間地獄に落ちる一大事」であり、高森会長はその解決の道を親鸞、蓮如の教えから説き明かすのである。聴衆は午前、午後それぞれ一時間半の法話中ずっと正座したままだった。

「絶対の幸福」とは

法話は蓮如の言葉を一字一句、忠実に解釈するきわめて教学的な内容である。聴衆の多数を占める若者たちがなぜ、ここまで仏教に打ち込めるのか。法話の合間に行われた会員二人の体験発表は、若者が親鸞会に入会する典型的な筋道を示していた。

昭和四十五年に生まれた愛知県出身の男性は、小学生の時、プラネタリウムで宇宙への関心を招き、天文学者を目指す。しかし、高校に入り、人生の意味、自分の存在意義が分からなくなり、関心は宇宙から自分の生き方へと移った。

「松下幸之助のように富を築いても、アインシュタインのように発見に人生をかけたとしても、死によってどんな人生もこっぱみじんに打ち砕かれる。大学受験を前に、死を重視する自分は迷いの中にあった。」

その後、東大に入学して高森会長の法話を聞き、迷いがはれる。それは人生の目的が「絶対の幸福」を手に入れることだと知らされたからであった。「死を前にしても変わらぬ幸せが親鸞聖人の御教えにあった」と締めくくる男性の表情は確信に満ちあふれていた。

体験発表者に共通するのは、青年時代に生きる目的を見失い、「なぜ生きるか」という人間の根源的な疑問に突き当たることだった。それは若者なら大なり小なり経験することだが、彼らの場合、その答えを親鸞の教えに見いだす。しかも、高森会長を通してである。

高森会長の法話は日曜日ごとに全国各地で開催されるが、会員はその日程に合わせ、寸暇を惜しんで遠征する。あくまで高森会長の肉声を重視しており、一人の人間のここまで際だつ存在感も、今日の新宗教団では絶えて久しい光景と言えた。

かつて親鸞会は本願寺教団と激しい教義論争を繰り広げたが、法事や葬式に頼らず、「聞法」、つまり法話を聞くことを通して地歩を固める点で、今後も真宗王国北陸を揺さぶり続ける存在には違いない。さらに現代人が遠ざけがちな死の問題を真正面から見据えることで戦後に急成長を遂げた他教団との違いを際立たせるのである。

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